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高井戸教会だより 45号
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「あなたは私に従いなさい」
– ヨハネによる福音書 21章20~25節-
牧師 七條 真明
ヨハネによる福音書の最後の部分には弟子のペトロが出てきます。ペトロは、「わたしに従ってきなさい」と語りかけてくださった主イエスのみ言葉によって、漁師であったそれまでの道とは全く違う新しい道へと進むことになりました。しかし、ペトロがそこからなして行った歩みは、主イエスの弟子としていつも立派に従い抜いた歩みとは到底言い難いものでありました。
マタイ福音書第16章13節以下によれば、主イエスが弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお問いになったとき、ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と主イエスに対する正しい信仰告白と言うべき答えを返して、主イエスから祝福していただきました。しかし、そのすぐ後で主イエスが、やがて多くの苦しみを受けて殺されなければならないと、ご自身の受難を予告する言葉を口にされると、ペトロは「とんでもないことです」と主イエスをいさめ始めます。まるで自分が主イエスを従わせる主人のようにいさめるペトロがおりました。主イエスは、ペトロに対して「サタン、引き下がれ」「神のことを思わず、人間のことを思っている」と厳しい言葉を語られました。そして、弟子たちに「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と語りかけられます。しかし、見落としてはならないことは、ここにおける「わたしに従いなさい」という主のみ言葉は、「サタン」とまで主イエスから言われたペトロにも、いやペトロにこそ語りかけられているのだということです。
ペトロの愚かな振る舞いは、これに留まるものではありませんでした。それは、主が十字架に死なれた後、やがて復活なさって生きた御方として弟子たちの前に姿を現してくださったときにも、またそうでありました。復活の主イエスから「わたしの羊を飼いなさい」と主に仕え行く使命を与えられて新たに歩み始めたところで、「イエスの愛しておられた弟子」とヨハネ福音書が語る人物のことが気になるのです。「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と主イエスに問わずにはおれなくなるのです。
他の人のことが気になる。それは信仰をもって歩んでいる者同士の間にも起こってくることかもしれません。信仰者として歩んでいる私になぜこれほどまでに苦しみの出来事が重なるのか。それに比べて、どうしてあの人はあんなにも幸せそうなのか。
主イエスはペトロに「あなたは、わたしに従いなさい」と言われました。他の人のことが気になる。そのような私たちに、主イエスは語りかけられるのです。「あなたは、わたしに従いなさい」。他の人の行方が気になり、そこに向けているあなたの眼差しを、わたしの方に向けなさいと言われる。
「あなたは、わたしに従いなさい」。主のみ言葉に立ち直らされて主イエスに従って行く。ペトロの弟子としての歩みは、主のみ言葉によって形作られたものでした。