日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 42号

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「時を知る者として生きる」
– ローマの信徒への手紙 13章11節~14節-

牧師 七條 真明

「更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています」(11節)。パウロは、「時」について語ります。そして、「今がどんな時であるか」、印象深い言葉でこう語るのです。「夜は更け、日は近づいた」(12節)。

 パウロがここで示すのは、今はまだ夜であるということです。闇が色濃く世界を覆っているのが見える。明るい将来の展望を私たちに与えてくれるものを見出すことは難しい。そのような時代の中で、夜の闇は私たちの心にまで深く影を落としている。 「夜は更けている」。夜の闇が深まっている。パウロは、そのことをはっきりと見ています。しかし同時に、パウロが今の時について、しっかりと捉えているのは、「日が近づいている」ということです。夜が更けている。夜の時が進んでいる。しかし、そこで確実に日が近づいてきている。どんなに長く思われる夜にも、やがて昇ってくる太陽の光が射し込み、朝がやって来る。

 パウロがここで語るのは、言うまでもなく、一日における昼か夜かということではありません。もっと大きな時の理解、時の認識です。テレビや新聞が解説してみせる時代の認識よりもはるかに大きなものです。しかし、この時代に、この世界に深く関わる時の認識です。また、そこに生きる私たち、幸福の中にある人にも、苦しみや悲しみの中にある人にも、平凡な日々を生きていると思っている人にも、すべての人々の今の時、今日一日の生活にも関わっていて、私たちの歩みを、この時代の中で真実に支え、活かす、そのような時の理解、時の認識を、パウロはここで語っているのです。

 「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています」。ここで「時」と訳される言葉は、「カイロス」という特別な言葉です。私たちの生きる時間の中に、歴史の中に、この世界に、神が介入して来られる時、そのような「時」を表す言葉です。そして、パウロがここで語っている「時」とは、聖書がその全体をもって指し示している、救い主イエス・キリストが来られたこと、神が御子キリストにおいて私たちの世界に入って来られた「時」、またそこから始まっている「時」が、今ここにある、そのように語ることができる「時」です。

 救い主は来られた。神がご自身の方から私たちに近づいて来てくださった。神は私たちから遠く離れている方ではない。主イエス・キリストが、私たちと一つになってくださるほどに、私たちに近くいてくださる。そのことを知り、信じる信仰を私たちに与えてくださる。神が御子キリストにおいて来てくださったところに始まる決定的な「時」の中に、私たちは立たされている。

 「夜は更け、日は近づいた」。この「時」の認識は、私たちに生きる道を指し示します。「日中を歩むように、品位をもって歩む(13節)生き方へと私たちを押し出す。神を愛し、隣人を愛して生きるように私たちを促すのです。夜の闇が色濃く覆う世界で、朝の光を見ながら生きることは、私たちにとって戦いを求められることでもあります。しかし、それは、主イエス・キリストが、私たちにおいて、ご自身の戦いとして共に戦っていてくださる戦いです。主イエスご自身が、私たちの光の武具となって共に戦っていてくださる戦いなのです。

 「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています」。時を知り、キリストを身にまとって生きる道へと招かれています。