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高井戸教会だより 41号
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「神の愛の中に自分を見る」
– ヨハネによる福音書 3章16節-
牧師 七條 真明
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書第3章16節)
神が私たちを愛してくださっている。どれくらい愛してくださっているか。私たちが一人も滅びないで永遠の命に生きることができるように、大切な独り子イエス・キリストをくださるほどに神は愛してくださっている。神の大きな深い愛が見えてくるところ、私たちのために大きな犠牲を払ってなされた神の愛の業を、短い言葉で、しかしその中にぐっと凝縮するような形で私たちに語りかけている言葉がここにはあります。このヨハネ福音書第3章16節の御言葉は、この短い言葉が何を私たちに語りかけているのか、それが本当にわかったならば、聖書全体が語っていることがわかったと言える、そのような御言葉だと思います。
そして、この聖書の御言葉が私たちに伝えてくれる神の愛がわかってくるということは、この自分とは何か、そのことがわかってくるということでもあると思います。人は誰でも、自分の厭なところ、嫌いなところというものがあるのではないでしょうか。自分はどうしてこうなのか。もっとこうであったら良かったのに。厭だ、厭だ。そして、そのようなことをしばしば考えていると、自分が生きている意味などあるのか、そんなことまで考え始めたりします。私たちの心の中には、自分を映す鏡があって、その鏡に自分のことを映して、私はこういう人間だ、と自分で思っている自分というものがあるのだと思います。
しかし、神は私たちのことをどんな風に思っていらっしゃるのか、神さまの心の中にある鏡に私たちはどう映っているのか、聖書はそのことを教えてくれます。神がご覧になる私たちの姿ですから、本当の自分の姿です。それが聖書の御言葉によって映し出される。私は厭な人間だ。自分が生きている意味なんてあるのか。時にそのような思いを抱く私たちに、聖書の言葉は、「そうじゃない!」と言ってくるのです。私たちの思いに抵抗してくる。愛をもって抵抗してくるのです。神は、あなたのことを愛してくださっている。御子イエス・キリストが、あなたのために十字架にかかっても構わない、そのように思われるほどの命がけの愛であなたを愛してくださっている。あなたは神さまに愛されている。あなたが自分のことをどう思っていようと、神さまにとってあなたはいなくてはならない大切な人だ。ヨハネ福音書第3章16節の御言葉は私たちにそう語りかけてくるのです。
聖書の御言葉は、ラブレターを読むようにして読まなければならない、と言った人がいます。聖書は、神からこの自分への愛が告げられている手紙として読まれる時に初めてわかってくる、そのような書だということでしょう。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。」この私にも、この言葉が語られている。神の愛を告げる言葉がこの自分に語りかけられている。そのことを私たちが受け止めるとき、自分が心の鏡に映している自分の姿を超えて、この神の愛の中に立たされている自分、本当の自分を私たちは見ることができます。そして、その時にこそ神の大きな愛の中で、私たちにおいてもまた、それがどんなに小さくても犠牲を厭わずに生きる愛の業が生まれてくる。愛に生きる勇気が生まれてきます。