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高井戸教会だより 35号
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クリスマス説教 「マリアをめぐる黙想」
– ルカによる福音書1章26 – 56節-
牧師 内藤 留幸
『天使は、彼女(マリア)のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。』(ルカ1章28~29節)
ここでは受胎告知をうけたマリアを「恵まれた方」といっています。恵まれるということはどういうことなのでしょうか。ここでは、はっきりと恵まれるとは「主が共におられること」だと言い切っています。このことは、信仰的にいって、とても大切な点です。普通、わたしたちが恵まれるという時は、事が思い通りにすすんでいくとか、事業がうまくいって利益が上がったとか、念願かなった新しい家ができたとか、自分にとって至極都合がよいことをいっている場合が多いのではないでしょうか。
しかし、ここでは恵まれるとは「主がわたしたちと共におられることだ」といっているのです。では、主がわたしたちと共におられるとはどういうことなのでしょうか。それは端的に言えば、主がわたしたちを救いのご用に役立て、用いてくださることだといってよいのではないでしょうか。マリアは、天使から『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる』と言われた時、初めは29節にあるように、そのみ言葉の意味が解らなかったのです。ところが再度『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。』と言われて、恵まれるということの意味が解り、自分が神に用いられて救いのご用の一端を担うべく、救主イエスを胎内に宿すことになり、やがて、主イエスの母としての役割を果たしていくことを自覚するようになったのではないかと思います。
『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む』(35節)と天使が語った言葉どおり、マリアは上よりの恵みの力をいただいて、まさに主イエスの母となっていくのです。わたしたち信仰者は、この恵みをいただくということが、主がわたしたちと共におられることであるという事実、そして主がわたしたちを神の救いのご用に選んで用いてくださることであると深く知り、しっかりと受けとめたいと思います。
『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように』(38節)
マリアは天使のみ告げを心にしっかりと受けとめ、主に従っていく信仰の志を示しました。彼女は自分のうちに、やがて生まれ出ずる神のみ子、救主イエス・キリストを深い愛情を注いで育てていこう、との思いをこの祈りの言葉に込めたのではないでしょうか。
わたしたち信仰に生きる者は、あのパウロが語った言葉にあるように『生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしたちが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。』(ガラテヤ2章20節)。わたしたちは深く祈り、礼拝生活を積み重ねて努力をしながら、内なるキリストを育てていくことが大切なのです。そのことに、生ける主なる神のわたしたちに対する期待があるのではないでしょうか。