日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 22号

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“時を知っている者”
ローマの信徒への手紙13章11~14節

牧師 内藤 留幸

聖書では神を信じる者を、「時を知っている者」と言っています。この時(カイロス)とは一般的な意味での時間とかチャンスという意味のほかに「神がご計画を実現される時」という深い意味があります。今という時が自分にとってどういう時なのか、神がこの私に何を期待しておられる時なのかを深く知っている者がクリスチャンなのです。旧約聖書のコヘレトの言葉(伝道の書)3章11節に「神のなされることは皆その時にかなって美しい」と記されていますが、わたしたち信仰者は、神がすべてをご支配なさり、その時々に適しいご計画を実現されると信じているのです。

  使徒パウロはこの「時」を救主キリストとのかかわりで捉え、内容豊かに表現しています。今のこの時は「眠りから覚めるべき時」であり、「わたしたちが信仰に入った頃よりも、救いが近づいている」と言い切っているのです。なんと素晴らしい信仰的洞察でしょうか。パウロの時代の一般の人たちは「時」をどのように考えていたのでしょうか。彼らはギリシャ神話の一つ、クロノス神話が示すように時を考えていました。クロノス(時)は父ウラノス(天を支配している神)と母ガイア(物を生み出す大地の神)から生まれました。クロノス(時)は次々と生まれてくるものを信頼できないと思い込み、次々とそれらを飲み込んでしまうというのです。―この神話が示している「時」とは淀みなく滔々と流れ、天地にあるものすべてを飲み込んで無限の彼方へ押し流し、やがて、すべてのものは時の流れの中で忘れ去られていきます。移りゆく世は儚く、空しいというわけです。

  それに対してパウロは、「時」(カイロス)は創造主なる神によって造られたものであり、神がご計画されたことが決定的に実現される時であると力強く語っています。わたしたちが生きている今という時は、実は、2000年前に救主としてこの世に来られたキリストの聖霊降臨によって教会が誕生したという救いの出来事と、やがて来たるべき終末の時(神の国の来臨の時)までの〈中間期〉であり、それは〈教会の時〉ともいわれています。

  この「時」のもつ深い意味を知っているわたしたち信仰者は、それに適しい生き方をするのです。再び来たりたもう主キリストを仰ぎ望み「み国を来たらせ給え」と祈りつつ、この世の人々に「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とキリストが語られたように福音を語り続けるのです。また、闇の行い(酒宴と酩酊、争いとねたみなど)を脱ぎ捨てて光の武具を身に着け、日中を歩むように品位をもって歩んでいくのです。ここでいう光の武具を身に着けるとは、端的に言えば聖霊の導きをうけ、聖書のみ言葉に聴き従うことです。それはまた神の家族である教会の友と共に礼拝を喜んでまもり、神を讃美し、神に感謝の祈りをささげることです。そこに真の信仰者の品位があり、人生の勝利があるのです。