日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 21号

教会だより

”バベルの塔の物語が示すもの”
創世記11章1-9節

牧師 内藤 留幸

この物語は、初めは一つの同じ言葉を話し、心の通じ合っていた一つの民族が、人間の傲慢さを表す出来事をきっかけにして.神に打たれ、言葉が乱れ,心が通じなくなり、全地に散らされて行ったことを語っている。
これは、現代に生きる私たちにどんなメッセージを告げようとしているのであろうか。

  この物語は、創世記を構成している複数の資料の一つであるヤーヴェ資料に属している。この資料の特徴は、人間が実に罪深い存在であることを鋭く語る点にある。創世記3章以下にはアダムとエバとの禁断の木の実を食べた罪、その子カインの弟殺しの罪、ノアの子ハムが父親の恥をあばいて、快感を覚えた罪というように、罪が次第に拡まり、深まっていく様子が描かれている。そして、その最後の罪の頂点ともいうべきものとしてバベルの塔の物語がある。

  では、この物語のどこに人間の罪の頂点を見るか。結論から言えば、人間の傲慢の罪こそが罪の頂点なのである。      
聖書によると、人間は建築材料として、初めは神の創造のみ手になる自然石やしっくいを用いていた。ところが人工的なれんがを造り、しっくいの代わりに強力な接着剤としてアスファルトを発見して使うことができるようになった。そこで人間は、これさえあれば、もう神に頼ることなく高い塔を造り、天にまで達することができると考えるようになったのである。この、「もう神に頼る必要がなくなった。自分たちだけで、都市でも、高い塔でもできる。神に祈って与えられる安らぎではなく、自分たちが造り上げる文明によって、それを手に入れることができるのだ」と、考えること、それが、実は人間の傲慢であり、神に対する不遜きわまりない態度なのである。

  人間が造り出す文明都市は、神を必要としない社会となり、やがては、神なき社会となっていく。そういう動機ともいうべきものが、このバベル塔の物語には、すでに語られているのである。           
  神なき社会の著しい特徴の一つは、人と人との心が通じにくくなっていくところにある。バベルの塔の物語では、人間の傲慢さのゆえに神が人間の言葉を乱され、心が通じ合わなくなり、皆が散らされたのであるが、現代人の深い孤独感や、空虚感や不安、そして愛されない悩みや、愛し得ない苦しみなども、実は、人間が知らず知らずのうちに犯している傲慢の罪、神に頼ることなく自立できるのだとの、誤った過信から出ているのである。

  人間は強いようで弱い存在であり、賢いようで愚かであり、善人のようで実に罪深い。
  そのことに早く気づいて傲慢の罪を悔い改め、救い主キリストを信じることが、なによりも大切である。
  恵み深い主キリストは、私たちの悔い改めを受け止め、罪を赦して下さり、聖霊降臨の出来事が示すように、お互いの心が通じる道を備えてくださっているのである。