日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 15号

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“神の国信仰・終末的信仰についての黙想”

牧師 内藤 留幸

聖書が告げる神の国信仰・終末的信仰を正しく深く理解することは、私たちが信仰生活を豊かに続けていくために必要欠くべからざることである。
 聖書によれば、この世界は(私たち人間も含めて)神が創造されたものであって、初めと終わりがある。世界の初めは創造と言われ、世界の終わりは終末とよばれている。この世界は完成をめざして進み、ついに目的に到達した時が終末である。そこで神の国が到来し、世界の救いが成就するというのである。

 さらに聖書では、世界の創造と終末との間に、この世界に生きる人間の罪による堕落と罪からの救いというもう一つの大切なことが語られている。その人間の救済のために、この世界に来られたのが救い主イエス・キリストであり、その主がこの世界に来られた時に、すでに神の国ははじまっているというのが非常に重要なメッセージなのである。

 聖書はこのことを繰り返し語っている。
① 主キリストの宣教の第一声は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)であった。このことは主キリストの来臨と共に神の国が始まっていることを明示している。
② 主キリストはしばしば病人をいやし、悪霊を追い出された。「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(マタイ12:28)
③ 主キリストが十字架に死なれ、葬られた後、三日目に復活されたことも神の国がキリストと共に到来しているしるしである(Ⅰコリント15:20~ に死者の中からの復活の初穂となられたと記されていることの意味は深い)
④ ペンテコステの日に聖霊が与えられて地上に復活の主キリストのからだなる教会が誕生したことも終末が始まったことを示している。教会は神の国の見えるしるしである。

 私たちが聖霊を受けて信仰者の群れである教会に連なることは、終末における栄光を先取り的に味わうことができる恵みなのである。

 では、この世界の終末が到来するとはどのような意味をもつのであろうか。

 このことを明らかにするためには聖書においては預言者的終末論から黙示的終末論に段階的に発展していることに注目しなければならない。 預言者的終末論は歴史の一時点に起こる「主の日」において義なる神が不義・不信の者を徹底的に審き亡ぼされると強調している。 それに対して黙示的終末論は聖なる神によって「主の日」がもたらされ、古い時代が廃棄されて新しい時代が始まることを強調している。まさに「主の日」に救い主キリストが来られて「神の国は近づいた」と宣教され、病人をいやし悪霊を追放されることによって、また十字架と復活とによって、主と共にこの世界の終末が始まり、主の愛がご支配になる神の国が始まったことを明らかにしているのである。

 私たちは今日、生ける復活の主キリストのからだなる教会に集って信仰生活を続けている。教会はこの世界にあって唯一つ、神の国の見えるしるしとして存在している。教会は本質的に終末的存在である。私たちクリスチャンは「み国を来たらせたまえ」と祈りつつ、キリストの再臨と、世界の救
いが成就する終末の神の国の到来を待ち望みつづけるのである。