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高井戸教会だより 14号
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説教 「クリスマスに思う」 ーザカリアとエリザベトのことー
ルカ福音書1章5-25節
牧師 内藤 留幸
救い主イエス・キリストの誕生は、神の深い深い準備の後に時満ちて起こった出来事であった。それは、ルカ福音書によれば、救い主の道備えをするバプテスマのヨハネの誕生を記していることによってもあきらかである。
バプテスマのヨハネの誕生の予言は、天使によって父なるザカリアに告げられた。ザカリアは祭司であり、その妻エリザベト
は名門の出身。二人とも神の前に正しい人たちであったが、子どもがなく、既に年をとっていた。彼は祭司の務めをしていた時、主の天使に出会い(神との出会いを示す)、はっきりと、恵みの約束を告げられた。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリザベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ・・・」(13-14節)
「恐れることはない」との最初の言葉は現するわたしの言葉」(20節)とは、なんと深い言葉であることか。神の言葉は人間の経験や知識を遥かに超えて必ず実現するのである。
その後、妻エリザベトはヨハネを身ごもり、その誕生の備えをすることになった。そして言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」(25節)
夫ザカリアは神の約束の言葉を信ぜずに、1度は試練を受けることになったが、神から与えられる福音の黎明である。福音
は私たちから恐れを取り除くことから始まるのである。
「あなたの願いは聞き入れられた」とは、ザカリアが若き日に切に祈った子どもが与えられるようにとの願いが実現するとの神の恵みの宣言であった。けれども彼も妻エリザベトも老人となった今、この神の言葉をすぐには信じられなかった。そこで彼は言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」
自分たちの現実を見るとき、ザカリアには神の約束の言葉が実現するとはとても思えなかった。けれども、神の言葉は人間の拒否にも拘わらず、必ず実現するのである。
信仰とは、なんの証拠もなしに、ただ神の言葉である故に信じることであり、生ける神が真実であられる故にその言葉に信頼することなのである。
天使ガブリエルが語った「時が来れば実彼女は時が来れば必ず実現する神の約束の言葉を素直に信じ、受け入れた。生ける神
は彼女を祝福され、救い主イエス・キリストの来臨のために道備えをしたバプテストのヨハネの母として用いられた。
神の約束の言葉を素直に信じ受け入れる者を神はいつも心にかけてくださり、心のうちにある深い悩みから解放し、重荷を共
に担ってくださるのである。そして信じるものを生かし、支え、望みを与えてくださるのである。