日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 16号

教会だより

”あなたは今日わたしと一緒に楽園に”
ルカ23章32-43節

牧師 内藤 留幸

主イエス・キリストは十字架の苦しみの中で七つのみ言葉を語られた。いわゆる「十字架上の七言」である。それはルカ福音書に三つ、ヨハネ福音書に三つ、マタイとマルコ福音書に同じみ言葉が一つ記されている。その中から今日は「楽園の約束」といわれている祝福のみ言葉に注目し、上よりのメッセージを聴きたいと思う。

 ゴルゴダの丘で主が十字架につけられた時、両側に二人の犯罪人が十字架につけられた。そのうちの一人は主に向かって悪口を言い続けた。しかし、もう一人の犯罪人はそれをたしなめた。おそらく彼は、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と主がご自分を殺そうとしている罪深い人々の赦しを祈られたみ言葉を聴き、胸を打たれていたのだろう。そして、主が罪人をお赦しになるお方であることを知り、また、自分が罪深い人間であることに気づき始めていた。そこで彼は主をののしり続ける犯罪人をたしなめ、「お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」と言った。そして、主の方を向いて「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言い、主への信仰と悔い改めの思いを表わし、救いを切望した。それに対して主は「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われている。

 この主のみ言葉は、なんと恵み深く、祝福に満ちていることであろうか。主は「あなたは将来、いつの日か救われます」と言われたのではない。主が語られた救いのみ言葉を聴き、砕けた魂をもって受け入れたその日、その時に救いは現実となる。それはまさに神の恵みの時であり、救いの日なのである。

 この、主が語られた「楽園の約束」の言葉を聴いて、私には深く教えられることが少なくとも二つある。

 一つは、私たちが心から悔い改めて主のみもとに帰るものには、「いま」「ここに」救いの楽園があるということである。今日という日、私が生かされている「ここ」は神の祝福の場所なのである。主キリストを信じ、主にしっかりと結ばれている者には、「いま」が恵みの日であり、「ここ」が恵みの場所なのである。

 もう一つは、主のみ言葉を聴いて悔い改め、みもとに帰るのに遅すぎるということは決してないということである。この世のことについては「もう遅い。その時は過ぎてしまった。私はあまりにも年をとり過ぎ、老いてしまった」ということは当然あるであろう。しかし、悔い改めて主キリストのみもとに帰るという信仰の事柄については決して遅すぎるということはない。なぜなら、生ける主キリストは、今日もこの私が悔い改めてみもとに帰ることを待っておられるからである。キリスト教信仰においては「命ある限り希望があるということは深い真理」なのである。

 人生の終わり近くにいる者でも、主の招きのみ言葉を聴いたなら、素直にみもとに帰っていきたいものである。