日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 90号

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「救い主は飼い葉桶の中に」

― ルカによる福音書 2章1~7節 ― 牧師 七條(しちじょう) 真明(まさあき)

ルカによる福音書第2章の冒頭には、ローマ帝国の皇帝アウグストゥスの勅令によって行われた大規模な人口調査という出来事が記されています。人々は、その登録のために、故郷の町へ行かねばなりませんでした。ふだんは閑散とした町であったと思われる小さなベツレヘムの町も、その時ばかりは人々であふれ、大きな賑わいを見せていたことでしょう。その賑わいの中で、クリスマスの出来事は起こりました。

しかし、救い主がお生まれになったというクリスマスの出来事そのものについて、ルカ福音書は、短くこう記すだけです。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」。

神の御子は、私たちと同じ人間となってこの世にお生まれになった時、飼い葉桶の中に寝かせられた。聖書はその理由を、「客間には彼らの泊まる場所がなかったからである」とだけ語ります。マリアとヨセフには宿屋に泊まる場所がなく、そのためにイエス・キリストは、家畜小屋でお生まれにならねばならなかったということです。

救い主は、この世に居場所がない方としてお生まれになった。そのことは、既に主イエス・キリストの十字架を指し示しているとも言えます。しかし、そこにおいて、慰めに満ちたクリスマスの喜びの知らせが、私たちに向けられていることを思います。救い主は、飼い葉桶の中に寝かせられた。主イエス・キリストには、この世に居場所がなかった。しかし、この世に居場所なく、飼い葉桶の中に寝かせられたそのお姿の中に、私たち人間に向けられた神の愛、変わらない神さまの愛が指し示されている。

クリスマスの時期、果たして自分の居場所があるだろうかと不安になる若い人たちがいます。一人孤独を覚えている高齢の方たちもどれほど多くいることでしょう。昨年から続くコロナ禍が、その思いに拍車をかけているかもしれません。私たちもまた、心の奥底にさまざまな不安や恐れの思いを隠し持っている。この思いを誰が分かってくれるだろうかと、孤独な思いを心のうちにしまいこんでいる私たちであるかもしれません。

しかし、クリスマスの出来事が、私たちに告げていることがあるのです。この世に自分の本当の居場所、あるべき場所がどこにあるのか、どこにもない、そんな風に孤独な思いを深めずにはおれないような出来事や状況に直面する時にも、神さまの愛の中には、あなたの居場所がある。ちゃんとある。あなたも神さまに愛されている者として生まれた人だ。神さまの愛の中に生きるべき人間として、神の愛の中に、あなたのための居場所が変わらずにあり続けている。自分の本当の居場所がどこにあるかと思うそのところに、あなたの救い主が共にいてくださる。孤独な思いを深めるそのところでも、神の愛の中には、私たちの居場所がある。変わることなき本当の居場所としてあり続けている。飼い葉桶に寝かされたイエス・キリストのお姿は、私たち一人ひとりに、クリスマスの喜びの知らせを伝えてくれている救い主のお姿なのです。

クリスマスの祝いは、その中心にあるべきものがなかったら、それがどれほど賑やかで華やかで楽しいものであったとしても、やがては過ぎ去ってしまう、一時のものでしかありません。しかし、その祝いの中心に、キリストがお生まれくださった、その出来事がしっかりと見つめられているならば、その祝いがどれほどささやかで、貧しく、たとえ一人だけでその時を過ごさねばならなかったとしても、そのクリスマスの祝いこそは、決してむなしく終わることはない、本当のクリスマスの祝いです。私たちがそのことを受けとめるならば、誰が何と言おうと、そこにこそ本当の幸いがあります。そして、誰もがその幸いの中へと招かれている。わたしもそう!あなたもそうだ!と。クリスマスの出来事は、そのことを私たちに指し示すのです。

コロナ禍の中で過ごすことになったこの1年の終わりに、救い主は飼い葉桶にお生まれになったというクリスマスの知らせが、みなさんにとって喜びとなり、慰めとなり、平安をもたらすものとなりますように。