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高井戸教会だより 10号
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説教 「復活の光の中で生きる喜び」
ルカによる福音書23章13~34節
牧師 内藤 留幸
長く寒い冬が終わり、陽光が明るさを増すにつれて木々が芽ぶき、草花が咲きほころぶ頃復活祭はやってくる。復活祭はクリスマスやペンテコステと並んでキリスト教会の三大祭の一つである。
クリスマスは救主イエス・キリストの誕生を祝う日であり、ペンテコステは聖霊が降ってこの世に信仰共同体であるキリスト教会の誕生を喜び祝う日である。復活祭は十字架にかかり罪人の贖いのために犠牲の死をとげられた救主キリストが、墓に葬られた後三日目に復活されたことを喜び祝う日である。復活の主キリストと出会った弟子たちは「主は生きておられる」ことを知り、自分たちを復活の証人と呼んで、たくましく福音伝道に打って出る力を復活の主キリストより与えられたのである。そうした意味で、復活祭は真のキリスト教信仰が生まれた日ということができるのではないかと思う。主の弟子たちのいきいきとした明るさやたくましさは、復活の主に出会う前の、あの十字架の主を見捨てて逃げてしまった弟子たちからは、全く想像がつかない程素晴らしいものであった。この弟子たちを真のクリスチャンに生まれ変わらせた出来事こそ、復活の主キリストとの出会いであった。
私たちが今日復活祭を祝う礼拝をささげている只中に、眼にはさやかに見えないが生ける復活の主キリストが聖霊と共に臨ん
で下さるのである。そして、いにしえ古の弟子たちを新しく生まれ変わらせ、たくましく福音伝道に押し出されたように、生ける復活
の主は私たち一人びとりに臨みねんご、懇ろに語りかけ、大切な課題に勇気をもって当るように力強い励ましを与え、新しい希望をもって生きていくものにしてくださるのである。
エマオへの途上で復活の主キリストが失意のうちにある弟子に出会った物語は実に示唆に富んでいる。
復活の主の方から失望落胆している弟子たちに近づき、一緒に歩んで行かれ、み言葉を語りかけられた。そこから落胆してい
る弟子たちと復活の主との対話が始まった。そして、それが彼らの再起につながっていったのである。初めは弟子たちは対話の相
手が復活の主キリストであるとの確かな自覚はなかったのだが 。
生ける主が語られた聖書のみ言葉(救いの福音)は、聞いている弟子たちの心に届き、彼らの心は次第に熱くなり、更に聖書
のみ言葉を聞き続けたいと切望するようになった。そこで弟子たちは聖書のみ言葉を語ってくれた同行者を引きとめ、一緒に宿
に泊まることになった。食事を共にした時、主はパンを取り、祝福して裂き、弟子たちに渡された。彼らがパンを受けとった時、
彼らの眼が開けて食卓を囲んでいた方が、実は復活の主であることが解ったというのである。
このルカが記す物語は、端的に現代に生きる私たちの礼拝における説教と聖餐の恵みを示している、生ける復活の主キリスト
は「聖書全体を説きあかす」説教を通して、また「共にパンを裂いて食事をする」聖餐を通して私たちに臨んでくださり、救いの
確かさと喜びとを与えてくださるのである。