日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 99号

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「 主の神殿を建てる者 」

― 歴代誌上22章2~13節  ―

日本キリスト教団高井戸教会牧師 ・  布村「ぬのむら」 伸一「しんいち」

「あなたは多くの血を流し、大きな戦争を繰り返した。わたしの前で多く血を大地に流したからには、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない。」    (歴代誌上22章8節)

エルサレムの神殿を建てるために、多くの材料がダビデ王のもとに集められます。それは、それだけこの神殿建築の事業が壮大で、重要なことであったことを示しています。また、このことは、ダビデ王のもとに平和を勝ち取ったイスラエルが、当時それだけの力を持っていたことを示すものです。

ダビデは神殿建築の準備をする理由について、「わが子ソロモンは、主のために壮大な神殿を築き、その名声と光輝を万国に行き渡らせるためにはまだ若くて弱い。私が準備しなければならない。」と述べています。そして、彼はその子ソロモンを呼んで「イスラエルの神、主のために神殿を築くことを命じ」ます。この時ダビデは、できることならば自分が主の神殿を建て上げたい、そのような気持ちをもっていました。

彼はサウル王から王位を引き継ぎ、イスラエルの領土を広く大きなものとしていきます。このことは、モーセとヨシュアによってカナンの地に根ざしたときからのイスラエルの人々の念願でもありました。安心して暮らすことができる広大な土地をダビデ王によって手に入れることができた、そのような実績があったからこそ、ダビデ王は自らの手で、これまで幕屋に納められていた契約の箱を、神殿に収めたいと願ったのでした。

ところがそのようなダビデ王の願いは、主なる神の前では叶うことがありませんでした。ダビデは8節 からの 箇 所で主 の 告 げられた言 葉を語っております。「あなたは多くの血を流し、大きな戦争を繰り返した。わたしの前で多く血を大地に流したからには、あなたが私の名のために神殿を築くことは許されない。」という神の言葉には、ダビデ王に対する明確な神殿を建てることへの禁止の命令が告げられています。それは、領土拡大のための戦争により神の前で、多くの血を大地に流したことがその理由とされたのです。このことは、現在の私たちから見れば当然のようにも思えます。

しかし、当時、今から3000年ほど前のこの地方では、現在よりも厳しい生存競争に曝されていたことを、私たちは見なければなりません。当時の人々は限られた食糧、領土を求めて、いわば生存のために争っていたのです。自分たちが敵を倒さないならば、敵に倒されてしまう。そのような中での戦争だっことを覚える必要があります。しかし、国のために、国民の生存のための戦争を行ったダビデが神殿を建てることを主なる神はお許しにはなりませんでした。

それは、いかなる理由であれ多くの者の血を流した者は、神の前では汚れた存在であり、そのような者に神殿の建築を行うことは許されないという、神のお考えによるのです。ダビデに語られた神のお告げは続きます。9節にあるように、ダビデの子ソロモンは安らぎの人であることが告げられます。多くの戦を経てきたダビデとは違って、生まれながらに神の平和という、神のお考えの中にあった人であるとみることができます。彼は、それゆえに神によってすべての敵から守られ、安らぎを与えられるのです。

「この子が生きている間、イスラエルに平和と静けさを与える。」と神は言われます。彼は神によってそのように召された、それゆえに神は、ソロモンだけでなく、イスラエル全体に平和と静けさを与えられるのです 。そのような「 安らぎの人」であるソロモンに主なる神は「この子がわたしの名のために神殿を築く。」と宣言されます。ダビデではなく、このようにソロモンに神殿建築が託されたのは、今まで見てきましたように、神のお考えであるということです。

ここに私たちは、主の神殿を建てる者とはどういう者か、示されます。すなわち、主の神殿を建てる者は、神さまによって決められるということをです。ダビデは、このように神のお告げをソロモンに告げた後、ソロモンに励ましの言葉をかけます。「わたしの子よ、今こそ主が共にいてくださり、あなたについて告げられたとおり、あなたの神、主の神殿の建築を成し遂げることができるように。」と。それは、父が準備をして子がその事業を完成させるという、神殿建築事業の連続性を表しています。このことは、この世の幾多の教会の建築についても言えることです。会堂建築の幻を与えられ、そしてそのために祈り献金を献げ、会堂が建てあげられる、そこには長い年月がある、しかしその業は継続しているそのことをも思い起こさせるのです。

「賢明に判断し識別する力を主があなたに与え、イスラエルの統治を託してくださり、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。」という12節のダビデの言葉は、自分の力に依り頼むのではなく、神にまず依り頼むならば、神が神殿建築を進める力を与えてくださることを示しています。私たちはともすると自分の力に頼り、物事を進めようとします。しかし、主の神殿を建てるような神の業に関わろうとするとき、私たちはまず御旨に聴き、神にそのような事を成し遂げる力をお与えくださるように祈り願うことが必要なのです。

「あなたは、主がイスラエルのために、モーセにお授けになった掟と法を行うよう心掛けるなら、そのとき成し遂げることができる。勇気をもて。雄々しくあれ。恐れてはならない。おじけてはならない。」とダビデはソロモンに語りかけます。主に依り頼んで、モーセの律法に従うよう努力するならば、神殿建築という神の命じられた大きな業を成すことができる、そのようにダビデはソロモンに諭します。

それは、私たちに向けられる神の言葉でもあるのです。私たちが神を愛し、隣人を愛しなさいという主イエスが命じられた掟を守るならば、神は私たちにも御業を行う力を与えてくださり、神の御計画に参与することをゆるしてくださるのです。そして、そのように祈りと神に信頼して依り頼むことによってこの会堂も建てられたことを覚えたいと思います。私たちの信仰生活も、祈りと神に信頼して依り頼みつ歩むことで神は、私たちに正しい道を示してくださり、御国に入るのに相応しい確固とした者として造りかえられていくのです。
(2024年11月3日建堂記念礼拝説教)