日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 96号

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「 風に吹かれて生きる 」

― エゼキエル書37章1~10節  ヨハネによる福音書3章1~8節 ― 東京神学大学教授 中野(なかの) 実(みのる) /p>

 私たちキリスト者は皆、聖霊を注がれて、新しく造られた存在です。私たちが聖霊を注がれ、新しい人とされている。これは一体どういうことなのでしょう。聖霊とは何でしょうか?私たち(この私)に最も近くいてくださる神様です。近いどころではない。私たちのうちに住んでくださる神様です。ちょうど空気のように、普段は意識することのないものかもしれません。しかし、空気なしには生きられないように、私たちキリスト者は聖霊なしに生きることはできない。それほど、私たちに近く、近いどころか、私たちの内に入ってきて、そこに住み、働いてくださっている方、それが聖霊なる神様です。

 創世記2章7節によれば、神様は土からの塵に過ぎないようなものに、ご自分の息、聖霊を吹き入れられると、それが生きる者となったというのです。私たち人間、すべての被造物は、そのように神様の息、聖霊なしにはそもそも生きることができないのです。しかし、聖霊を吹き入れられて、生きる者とされたはずの人間でしたが、そのような本来のあり方から外れていってしまう。それが人間の現実でした。それを語っているのが、創世記3章以下のいわゆる「失楽園」の物語です。しかし、そのような人間がもう一度再生できる、本来の人間らしさを回復できる希望を聖書は語ります。例えば、預言者エゼキエルは不思議な幻を見ます。罪と死の脅かしによって乾いた骨になってしまっている人間に、聖霊が注がれて、再び立ち上がり、新しい存在として歩み始める可能性をこのエゼキエルの幻は示しています。

 「主はわたしに言われた。『霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊(=風)よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹き付けよ。そうすれば彼らは生き返る』。わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった」(エゼキエル書37章9~10節)。

 神様によって造られた本来の人間らしさを失っていた私たちが、神様からの霊を新たに吹き入れられて、再び立ち上がり、新しい人として歩み始める。それが私たちキリスト者の歩みです。イエス様は言われました。

「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。……風(=神の霊、聖霊)は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。霊から生まれた者も皆、そのとおりである」(ヨハネ福音書3章5~8節)。

 以前、ある教会の修養会に招かれて行った際、教えてもらった詩があります。クリスティーナ・ロセッティという19世紀英国の女流詩人による「風」という作品です。

 「誰が風を見たでしょう。僕もあなたも見やしない。けれど木の葉をふるわせて、風は通り抜けていく。誰が風を見たでしょう。あなたも僕も見やしない。けれど木立ちが頭をさげて、風は通り過ぎてゆく」。 

 明らかにこの詩は、ヨハネ福音書3章の御言葉を元にした作品です。確かに聖霊の風は自由に吹きます。私たち人間がコントロールできることではありません。ただ神様の御心のままに吹くのです。しかし大事なことは、そのような神様からの風が、私たちに向かって、この世界に向かって吹いているという事実です。その事実を証言する大切な使命を与えられているのが、私たちキリスト者です。確かに聖霊なる神様は私たちの目には見えません。しかし、聖霊の風が吹いていることは、木の葉がふるえていることを、そして木立ちが頭を下げていることを見れば、分かるのです。私たちキリスト者は、私たち自身の歩みの隅々において、そのような聖霊なる神様が働いていてくださっている「しるし」を経験して  いるのです。何度も何度も転びそうになった。いや、実際転んでしまったにもかかわらず、こうやって再び立ち上がって、歩み続けることがゆるされている。それは、聖霊の風が私たちのうちにまで吹き込んできてくださったからです。聖霊の風に吹かれることによって、私たちは内側から新たに造り変えられ、希望を失うような現実の中にも希望を見出し、倒れるような状況にあるにもかかわらず、再び立ち上がる力を与えられるのです。

2000年前、ペンテコステの日に、イエス様を信じる者たちの上に聖霊が激しい風のように吹いてきて、そこに教会が誕生しました。教会につながる私たちキリスト者一人一人は、そのような聖霊が注がれた存在なのです。そして、私たちは聖霊の風に吹かれながら歩むことがゆるされているのです。そのような私たちの教会の使命は何でしょうか?それは、聖霊の風が今もこの世界に吹いていること、そして神様はその聖霊の力によって世界を新しく造り変えようと働いていてくださっていること、それらを力強く証言することです。そのような光栄な使命が与えられていることを覚えつつ、今日から始まる新しい一週間、それぞれに与えられた持ち場において聖霊の風に吹かれながら歩みを続けてまいりたいと願います。

祈り:主イエス・キリストの父なる神様。私たちの教会に、そしてそこにつながる私たち一人一人に聖霊を注いでくださり、それによって常に新しく造り変えてくださる恵みを感謝いたします。それぞれが遣わされている持ち場において、私たちは聖霊の風に吹かれながら歩みをなし、聖霊によって世界を新しく造り変えようとするあなたの御心を力強く証言する使命を果たしていくことができますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によってみ前におささげいたします。アーメン。

(2023年11月19日礼拝説教)