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高井戸教会だより 88号
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「「天にましますわれらの父よ」
― マタイによる福音書6章9節前半 ― 牧師 七條(しちじょう) 真明(まさあき)
だから、こう祈りなさい。「天におられるわたしたちの父よ、…」
(マタイによる福音書6章9節前半)
新型コロナウイルスという、私たちの肉眼では見えないものによって、日々の生活が脅かされることとなりました。私たち人間は、新たなウイルスという小さな存在に対して、これまで人間が得た英知によって簡単に対処できないのだ、と痛感させられます。この世界にあって、私たち人間もまた、広大な世界に関わる本当にわずかなことを知っているに過ぎない小さな存在なのだと思わずにはおれません。
今、このような状況の中にある私たちに、マタイによる福音書に記される「山上の説教」の御言葉を通して、主イエスは祈りについて教えてくださいます。
「隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」(6章6節)。あなたの目に見えないものがある。でも、それは、あなたに今不安をもたらしているウイルスだけじゃないだろう?と主イエスは私たちに言われます。「隠れたところに」、あなたの見えないところに、「あなたの父」でいてくださる御方がおられる。天におられる父なる神ご自身が、あなたがたの父としていてくださるのだ、と主はお示しになるのです。
そして、主は言われます。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」(6章8節)。新たなウイルスによる今回の事態の中で、私が、改めて深く思わされたことがあります。それは、私たち人間がどれほど小さな存在であるかということと共に、その小さな私たち人間が、どれほど多くの見えないものから日々守られて生きているか、ということです。私たち人間の体に備わっている免疫機能も、神さまが与えてくださっているものです。神さまは、私たちが生きるために、何を必要とするか、私たちが願う前からすべてご存じなのです。その神さまによる守りは、私たちの思いをはるかに超えて、私たち一人ひとりの、今日という日の歩みを支えているものではないでしょうか。
私たちの天の父でいてくださる神さまは、私たちに必要なものを誰よりも知っていてくださる。私たちが願う前から、です。でも、だから祈り願わなくていい、と主は言われません。「だから」と言われて、祈ることを教えてくださるのです。「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、…』」。苦難の中にあるこの時、隠れたところ、目に見えないところに、確かにおられるあなたの父に向かって呼び掛けなさい。「父よ」「お父さん」と呼びなさい。祈るのだ、と主イエスは言われるのです。
天の父なる神を、「わたしたちの父よ」と呼ぶことができる。それは、当たり前のことではありません。神の「独り子」であられる主イエスのみが、「父よ」「お父さん」と呼ぶことができる御方が、天の父なる神だからです。でも、主イエスは、躊躇なく私たちに言われます。あなたがたは、「天におられるわたしたちの父よ」と呼びなさい、呼びかけることができるのだ、と。それは、わたしが、十字架にかかって、あなたがたが罪赦され、永遠の命に生きる神の子とされる、救いの道を開くからだ、と。
天の父が、私たちをご自身の子として受け入れていてくださいます。私たちを、人間の思いを超える守りの中に置いていてくださる。たとえ感染症にかかり、地上の命が終わるようなことがこの身に起こったとしても、私たちは神の御前に失われない。死を超えて永遠の命に生きる神の子として、私たちを、今ここでも生かそうとしていてくださる天の父がおられるのです。
私たちが、天の父なる神へと立ち帰って生きるようになるために、御子キリストは来てくださいました。低く降られ、人となって、私たちが生きるこの世界にその身を置いてくださいました。ご自身の心と体をもって、この世界の苦難を知っていてくださる御方が、私たちの救い主です。
「だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ…』」。今この時、あなたがたの天の父に呼び掛けなさい、祈りなさい、願いなさい、と主イエスが祈りの道へと私たちを導いてくださいます。だから、私たちは、主の導きに従って、「天の父よ、助けたまえ」と祈りを合わせて進むのです。