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高井戸教会だより 56号
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「わたしたちの罪を赦してください」
– ルカによる福音書 11章4節前半-
牧師 七條(しちじょう) 真(まさ)明(あき)
「祈りを教えてください」との弟子の求めに、 主イエスは、「主の祈り」として私たちもよく知る祈りを教えてくださいました。
神の御名と御国のための祈りの後、「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」という、 私たちにぐっと身近に思える祈りが現れます。 主イエスは、私たちが日々食べ物を必要とすることを、よく知っていてくださいます。
しかし、それに続いて、主が、祈るように言われたのは、 「わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」という祈りでした。
この祈りに込められている主の御心とはどのようなものでしょうか。 昨年3月11日に起こった東日本大震災から一年が経過しました。
被災地となった地域の方たちが経験されたことの大きさを改めて思わずにはおれません。 しかし、あの一年前の出来事は、日本に生きる私たちの心に、共通してもたらしたものがあったようにも思います。
一瞬にしてすべてを押し流すような津波に恐れ驚きつつ、「自分はどこに立って生きているのか」、 「何を頼りにして生きているのか」、そのことを誰もが覚えずにはおれなくなったということです。
震災からの一年の間、私たちの中に多くの問いが生まれました。「絆」という言葉を多くのところで耳にしましたが、 これも突き詰めて考えるならば、「地震によって揺らぐことなき絆、 あの大きな津波によっても流されることのない絆とは何か」、 そして「死というものをもってしても決して断ち切られることのない絆、そういうものがあるのか」との問いが生まれます。
それにどう答えることができるでしょうか?そのような絆は、人間の中からは決して生まれない。 それが聖書が語る答えだと思います。
私は、聖書全巻の最初に置かれた二つの問いとして、「あなたはどこにいるのか」「あなたの兄弟はどこにいるのか」 という神からの問いかけを思い起こします。神との絆を断ち切った人間、 そしてその結果として他の人間との絆を断ち切りながら生きざるを得なくなった私たち人間への問いです。
しかし、神は人間に向けて問うだけで終わらせることはなさいませんでした。神と人間の間の断ち切られた絆、 そしてそれによって断ち切られている人間同士の絆をもう一度回復する。私たち人間が神との生きた交わりの中に生き、 それに支えられて、私たち人間同士の絆が、新しく生まれ、結ばれていくために、神ご自身がお働きくださり、 御子キリストが十字架にご自身の命を捧げて、御業をなしてくださったのです。
だから、「わたしたちの罪を赦してください」との祈りは、どんな場合でも空しく響く祈りではありません。 主イエスがご自身の血潮をもって聞き届けられる祈りにしてくださったからです。
私たち人間は、罪赦され、神との生ける交わりの中に絶えず置かれるところでしか真実に人間として生きることはできない。 「わたしたちの罪を赦してください」。そう祈るように、教えてくださった主イエスは、日々の食べ物のように、
否それ以上に、罪の赦し、神との生ける交わりの中に生きることが、私たち人間に必要であることを知っていてくださるのです。 「わたしたちの罪を赦してください」。そう日々祈る時、私たちは十字架の真下から日々新しく始めることを知るのです。