日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 39号

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「神はわたしたちと共におられる」
– マタイによる福音書 第1章18~25節-

牧師 七條 真明

「イエス・キリストの誕生の次第」(18節)についてマタイ福音書が語る、その仕方は、救い主キリストが家畜小屋の飼い葉桶の中にお生まれになったことなどを語るルカ福音書とは随分趣きが違います。主イエスの母となったマリアと、そして思わぬ仕方で、マリアのお腹に宿った幼子をわが子として迎え入れることになったヨセフの姿が、クローズアップされるような仕方で、「イエス・キリストの誕生の次第」をマタイ福音書は私たちに告げているからです。

 婚約をしていたマリアとヨセフは思わぬ事態に直面することになりました。マリアのお腹の中には赤ちゃんがいる、というのです。マリアは天使からその事実を告げられ、ヨセフは恐らくマリアからその事実を告げられたのだろうと思います。聖霊によって宿った子ども! しかし、ヨセフがそのことを理解できるはずもありません。

 ヨセフはどんなに深い悩みの中に置かれたことでしょうか。平凡でいい、ささやかではあっても幸

せな家庭を築こう、そんなヨセフの思いは砕け散り、突然、奈落の底に突き落とされたような思いであったのではないでしょうか。

 それでも、神の御前にどのようにすることが正しいのかを必死で考えたヨセフが出した結論は、マリアのことを表沙汰にせず、ひそかに縁を切る、というものでした。

 その当時、婚約をしている女性が婚約相手以外の男性の子どもを宿したことになれば、その女性は石打ちの刑で殺されなければなりませんでした。だから、ヨセフは、マリアのお腹の子どもは彼自身によってできた子どもとし、その上でマリアと縁を切るならば、マリアではなく自分が責められることになる。それでいい。マリアに対する愛、しかし、ぬぐい切れない疑いの思い、戸惑いと不安を抱きつつ、自らの罪をも思わずにはおれない中でヨセフが出した結論を、誰も責めることなどできないでしょう。

 しかし、精一杯の自分が出した結論を胸に抱えながら床についた夢の中で、ヨセフは主の御使いが告げる言葉を聞きます。「ダビデの子ヨセフ、恐れずマリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(20~21節)

 ヨセフが、天使によって告げられた、自分の思いを超える神の御心を受け止めたことは、彼がマリアを妻として迎え入れ、やがて生まれた男の子に「イエス」と名付けたことからわかります。

 ヨセフの人生に、マリアの人生に、二人の間に、神が関わってこられました。それぞれの人生に深く入り込むようにして神の独り子がやって来られました。語弊を恐れずに言うならば、神の御子が来られたところで、ヨセフの人生、マリアの人生は、かき乱されたとさえ言えるかもしれません。

 しかし、まさにそのようにして、ヨセフもマリアも、自分たちの人生に神ご自身が関わっておられることを知りました。自分たちが考えるよりももっと大きな救いの歴史の中に立たされ、生かされていることを知ったのです。ヨセフ、マリア、そして私たちすべての人間の罪さえも担い、私たちの人生そのものを担ってくださる救い主がお生まれになりました。

 インマヌエル。「神はわたしたちと共におられる。」クリスマスの喜びと平安がみなさまの上にありますように。