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高井戸教会だより 30号
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説教 「主による召命と派遣ということ」
マルコによる福音書6章6-13節
牧師 内藤 留幸
私たちは聖日毎に生ける神の招きのみ声を聞いて、み前に集い、心からの礼拝をささげています。神は礼拝に集うもの一人ひとりに慰めと励ましに満ちたみ言葉を語って、生きる喜びや望みを与えてくださり、さらに大いなる祝福をもって私たちをこの世の生活の場へ派遣してくださいます。私たちはこの召命と派遣と言う信仰生活の基本的な営みを反復しながら信仰の年輪を刻んでいくのです。長い年月風雪に耐えてきた樹木が、えもいわれぬ風格を備えるように、私たち信仰者も長い年月にわたって聖日礼拝に集い、み言葉に養われ、主による召命と派遣という地道な教会生活を誠実に積み重ねていくうちに、キリストの香りを放つ信仰者の風格を身につけることができるのです。
私たちはこの世にあって、世俗的営みをするだけでなく、主から遣わされたものとしての自覚を持って、福音の使者にふさわしい生活をもしていくのです。
マルコによる福音書6章6~13節には主イエス・キリストが召された弟子たちを福音宣教に派遣された時のことが記されています。ここを読んでまず気づくことは、主は弟子たちが語るべき福音の内容についてはあまり教えられずに、弟子たちの生活態度や生きる姿勢について細かく教えられておられるということです。おそらく、主は初めて福音宣教に派遣する弟子たちがどのような生活態度を取るかということが、福音宣教でどんなことを語るかということよりも気になったのではないかと思います。彼らの多くは知識人でもなく、社会的地位が高かったわけでもなく、また人格的に優れていたわけでもない平凡な人たちでした。ですから、主は彼らに福音宣教者に相応しい生活をするよう懇ろに語られたのです。
このことは今日にも当てはまることではないでしょうか。――こんな話を聞いたことがあります。
ある若い牧師が神学校を卒業して赴任した最初の教会で、長老からまず言われたことは『先生、ともかく夫婦仲良くやってください。夫婦喧嘩をしないでくれたらいい』ということでした。わけをよく聞いてみると、前任牧師が外に聞こえるような派手な夫婦喧嘩をよくやっていたために、折角の説教が空しく聞こえたと言うのです。そして、そうした牧師の生活態度が結局福音伝道の妨げになったというのです。いつまでも忘れられない話です。
主イエスが弟子たちを福音宣教に派遣される時、二人を一組にして遣わされたということにも深い主の心遣いがあったのではないでしょうか。
二人で組んで、事に当たる場合一人が弱った時、もう一人が助けることができます。これは利点です。しかし実際は二人で組んで仕事をするとき、いつもうまくいくとは限りません。私たちが何かというと表面に出たいという思いが強いからです。お互いに相手を尊敬し、時には自己抑制をし、真に謙遜にならなければうまくいかないのです。主は弟子たちに福音を語り伝えるものは真に謙遜でなければならないことを教えられるために二人一組にして派遣されたことを私たちは胆に命じておきたいと思います。