日本基督教団 高井戸教会

教会だより

  1. ホーム
  2. お知らせ・教会だより
  3. 教会だより
  4. 高井戸教会だより 12号

高井戸教会だより 12号

教会だより

説教 「富の問題をめぐって」
ルカ福音書12章13-21節

牧師 内藤 留幸

ルカ福音書にはしばしば金持ちが登場してくる。ザアカイ物語(19章)やラザロと金持ちの物語(16章)がそうであるし、愚かな金持ちの譬話(12章)もそうである。ルカは金持ちがみな悪人であるとか、愚か者であると言ってはいない。彼は、信仰に生きる者にとっては富の問題は大切な事柄であることを知っていたので、富について正しく理解しておかねばならないと考えていた。そこで「この世の富をどのように考え、また、どのように取り扱ったらよいのか」を丁寧に語ろうとしたのである。

一説によると、この福音書が献呈されたテオフィロは貴族階級の人で裕福な生活をしていたので、彼が救われるためには富の問題を正しく、解り易く語っておきたいとルカは考えたと思われる。ルカは富むこと自体は決して悪いことではないとはっきり語っている。けれども富には不思議な魔力が潜んでおり、一つ間違えると信仰者が神の国に入るための妨げになることを強調したかったのではないか。

「愚かな金持ち」の譬えは、遺産相続をめぐって切実な悩みをもった人が、その解決をもとめてきた時に主イエスが語られたものである。遺産相続をめぐる争いは、いつの時代でも、なかなか深刻である。それまで仲良しであった兄弟が遺産相続をめぐって問題がこじれると、激しく憎しみ合うという悲しい結果になる場合がよくある。主はそのような人間の貪欲やむさぼりの凄まじさを見抜かれて、「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである」と言われ、この譬えを話されたのである。

この譬えに登場する金持ちはすべてのことを自分中心に考えて行動した。何をするにしても、その動機も目的も、みな自分の
ためであった。「わたしの」という語がくりかえし出てくることがそれ如実に語っている。この金持ちは怠け者ではなく勤勉な働き者ったし、不正な人ではなかった。だから豊作に恵まれたのであろう。けれども、自己中心的考えだったので、沢山の富を手にしたのに心底から満足せず、感謝もしなかった。自分の将来にどことなく不安をもっていたからである。そこで大きな倉を建てて食糧を貯え、自分自身に「安心せよ」と言っている。ここには富にどこまでも執着している罪深い人間の姿がよく示されている。

主はそれに対して「愚かな者よ。今夜、お前の命は取り上げられる。(そうしたら)お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と言われ、更に「自分のため に富を積んで神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」と言われている。

主イエスの語られたみ言葉によれば、死によって取り去られる儚い富と、死によっても取り去られない永遠の富(神の前に豊かになる)とがあることがわかる。永遠の富とは主キリストを信じる信仰によって与えられる豊かさである。地上の富をも含めてすべての富は神の喜ばれることのため に活用される時、大いに祝され、光を放つのである。