日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 68号

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「 信頼する力 」
― 申命記6章16節、マタイによる福音書4章5~7節 ―

東京神学大学学長 芳賀力

一荒れ野に赴かれた主は、石をパンに変えてみたらいいという悪魔の誘惑を、聖書を引用して退けました。「人はパンのみにて生きるにあらず。神の言葉で生きる」。次に悪魔はイエスを神殿の屋根の上に立たせ、「もしお前が神の子なら、飛び降りたらどうだ」とそそのかします。主は再び聖書を引用してこれを退けます。「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない」(申命記6:16)。その昔イスラエルの民がモーセに詰めより、岩を打って水を出させた時のことが言われています。マサとは試みという意味です。「イスラエルの人々が、『果たして、主は我々の間におられるのかどうか』と言って、モーセと争い、主を試したからである」(出エジプト17:7)と記されています。

二大勢の人々が見ている前で、「これから私が神の子であることを示すから、さあとくと御覧あれ」と言って、屋根から飛び降り、予告通り無傷で地上に降り立ったならば、大勢の者がすぐさまイエスを神の子であると信じることになるかもしれません。しかし奇跡の業を見て信じる信仰は、本当の信仰ではありません。主イエスの歩む道はむしろまことの神信仰へと人間を目覚めさせ、人間を神への信頼の中に導くことにあります。 信頼とは、疑わず、試さず、無条件で身を委ねることです。ある人を信頼すると言いながら、心の片隅でその人のことを疑って、どこまで信用していいのか試そうとしたら、果たしてそれは信頼していることになるでしょうか。神に対する信仰もそれと同じです。神を信頼するということは、疑わず、試さず、無条件で身を委ねるということです。

三神学校の授業で、ルターが約束と信頼は切り離しえないと言ったことを紹介しました。ピンと来ないので、「一年後にまた会おうと約束したら、お互いを信じるでしょう。そういう映画は何だったでしょう」と訊くと、年配の学生さんたちがすかさず「君の名は」と答えました。それを聞いて若い学生がすかさず「古いなー」とつぶやきました。私が念頭にあったのは、洋画の「めぐり逢い」でしたが、これまた古いと言われそうです。今はリメイク版の「めぐり逢えたら」だそうです。

四私が神学校に行く時、T先生が保証人になってくれました。その折りご自分の書かれた小冊子をいただきました。そこに印象深い話が書かれていました。先生が子供の頃読んだ少年雑誌の物語だそうです。アメリカに大変人気のあるサーカス団があって、団長は綱渡りの名人でした。妻を失い、残された一人息子をいつも肩車に乗せて綱渡りをしていました。ところが、不運が重なって人気が落ち、借金でつぶれそうになりました。人気回復のため、度肝を抜く芸を見せようというので、ナイアガラの滝の真上を綱渡りすると新聞に発表します。自分一人でやるつもりでしたが、子供も乗ると言い出します。「僕はいつもお父さんと一緒です。お父さんは一度も失敗したことがないから安心です」と言ってききません。ポケットから写真を出して、「ほら、天国のお母さんも一緒です」と言います。そこで仕方なく子供を肩に乗せて渡り始めます。

真ん中まではいつもの通りでした。恐ろしい滝の音も、周囲の景色も気になりません。まっすぐ正面の目標を見つめ、全神経を足に集中して、一足一足進んで行きます。ところが真ん中にさしかかった時、思いがけないことが起こりました。距離が長かったせいか、ロープが左右に大きく揺れ始めたのです。団長は歩みを止め、手を広げてバランスを取り、揺れが収まるのを待ちます。一秒一秒がとても長く感じられます。見物人たちは緊張し、固唾を呑んで見ています。失神する女性も出ます。男はもうだめかと思いました。

ところがこの時、男を支えたのは背中の子供です。子供がもし少しでもこわくなって動いたら、男はすぐさまバランスを失って落っこちたでしょう。しかし子供にはまったく恐れがありません。父親をまったく信頼しています。その信頼が肌から父親に伝わって、動揺しかけた彼を落ち着かせました。次第に揺れは収まり、男は歩き出し、無事に渡り切ることができました。この催しは無料で行われましたが、見物人は我も我もとお金を出し、借金や団員の滞った給料を支払って余りの出る興行収入となりました。そしてこの一件以来、サーカス団の人気はいっぺんに回復したのです。

五信頼とはすばらしいものです。それは、いかなる状況にあっても、疑わず、試さず、無条件に身を委ねる心です。神への信頼の中で、はじめて私たちは神に出会います。疑い、試し、条件つきで主の名を呼んでも、主は現れません。しかし信頼をもって主を呼び求める者に、主はご自身を示し、私たちと特別の関係を結んでくださいます。そして次の御言葉が成就します。「悩みの日に私を呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」 (詩編50:15 口語訳)。祈りましょう。

【祈り】 天の父なる神さま、あなたは愛する御子を通して、私たちにまことの信仰とは何かを教えてくださいました。御子は私たちをあなたへのまことの信頼へと導くために、十字架への道を歩まれ、身をもって信頼とは何かを示されました。どうか私たちを、御子が私たちのために勝ち取ってくださったまことの信頼の中に置いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。 (2015年1月25日 特別伝道礼拝説教より)