日本基督教団 高井戸教会

教会だより

  1. ホーム
  2. お知らせ・教会だより
  3. 教会だより
  4. 高井戸教会だより 57号

高井戸教会だより 57号

教会だより

「我らの国籍は天にあり」
– フィリピの信徒への手紙3章12節~4章1節-

牧師 七條(しちじょう) 真(まさ)明(あき)

イエス・キリストを宣べ伝えたパウロは、捕らえられた牢獄の中から、天を見上げながら、 私たちに語りかけます。「しかし、わたしたちの本国は天にあります。

そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」。 離れ小島に身を置かれたような、苦難の状況の中で、なお天を見上げる。 そこに自分は属する、そこが私の本国だ、と言うことができる場所を天に見ている。 そして、その天から、救い主イエス・キリストが再び来てくださるのを 私たちは待っているのだ。パウロはそのように語ります。

 改めて心に留まるのは、「しかし、わたしたちの本国は天にあります」 との御言葉の直前で、次のような事実が、パウロの口から告げられることです。という祈りでした。

「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、 キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。 彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、 この世のことしか考えていません」。

 パウロの伝道によって生まれたフィリピの教会は、パウロがフィリピの町を離れた後 、キリストの福音を全く誤った仕方で伝えていた巡回伝道者たちの語ったことの 影響を受けて、教会の中に混乱がもたらされていました。

「キリストの十字架に敵対して歩んでいる者」 「自らの腹を神とし、この世のこと、地上のことしか考えない者たち」が多い。 パウロは、そのことを涙ながらに言わざるを得ない、というのです。

 5月下旬、東京でも金環日食を見ることができました。 「見える!見える!」との子どもたちの声に誘われて庭に出た私でしたが、 肉眼で見ないようにひたすら地面を見ながら子どもたちに近づき、 日食観察用のメガネを受け取って空を見上げました。しかし、何も見えません。

「あれ?」と思っていると、 背後から「お父さん、逆!反対!」と子どもたちの声がしました。 私は、西の空の方、つまり、日食が起こっているのとは正反対の方角を見ていたのでした。

上を見上げる。天を仰ぐ。しかし、そこで見るべきものがちっとも見えてこない 天の仰ぎ方があるのだと思います。

パウロに「十字架に敵対して歩んでいる者」と言われてしまった人たちも、 自分たちは地上のことばかり考えている者と思っていた訳ではありませんでした。

自分たちも立派に天を仰いで生きていると思っていたのです。 パウロ自身が、十字架に敵対する者として歩みながら 自分こそ天を仰いでいる人間だと思っていた、そのような過去を持つ人でした。

しかし、そのような自分のために、十字架に命を投げ出してくださったキリストの愛を、 パウロは知りました。そのことによって、 彼は真実に天を仰いで生きる道に立たされて歩んだのです。

パウロが誇りとしていたのは、キリストの十字架です。キリストの十字架を見ると、 自分がどんなに小さくても、天を自分の本国として いただいた恵みが確かな事実として見えてくるのです。

 「しかし、わたしたちの本国は天にあります」。 どのような時も、主の十字架を誇りとして歩んで行きたい。 そこでこそ、ただ十字架の恵みによって、 わたしたちの本国としていただいた天が見えてくるからです。 (西東京教区婦人全体集会礼拝説教より)