日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 47号

教会だより

「輝き続ける光を見つめて」
– ヨハネによる福音書1章5節、9節-

高井戸教会 牧師 七條 真明

「光は暗闇の中で輝いている。・・・その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」(ヨハネ1章5節、9節)

 聖書は、クリスマスにおける光の到来を告げます。闇を照らす光として救い主イエス・キリストが、この世界へと来てくださった。その大いなる神の救いの出来事を私たちに語り告げるのです。

 昨年のクリスマスの頃に、こんな経験をしました。外出して帰りが遅くなり、少々疲れを覚えつつ、高井戸駅から教会に向かっていた時に、ふと教会玄関のクリスマスツリーの光が視界に入って来て、何とも言えない深い慰めを与えられたのです。自分を待ってくれていたように点滅している光を見つめながら、自分が光の家に帰って来た、そのような思いに満たされ、自分が学生時代に、この東京の町を彷徨い歩くような思いで生きていた時、教会に導かれ、主イエス・キリストの光の中に生きるように、と救いの恵みの中に招かれたことを思い起こさせてくれました。その光から離れずに生きるように、そう改めて言われているように思い、感謝の思いに満たされました。

 日野啓三という作家の晩年の作品に『東京タワーが救いだった』という作品があります。癌の手術を終えた後、鎮痛剤による幻覚に悩まされながらの孤独な夜のただ中で、病室の窓から見えるオレンジ色の光を灯した東京タワーの姿が自分を支えてくれた経験が記されます。東京タワーに限らず、古今東西、天を目指して建てられた塔は、聖なるものへの憧れ、闇に満ちた地上世界に生きる人間の天上の光の世界への憧れと願いが込められているものでしょう。

 しかし、日野啓三の作品を読む中で、むしろ私が心に留めるのは、十字架の付いた教会の建物が複数の作品に出てくることです。日野さんはキリスト者ではありませんでした。しかし、明らかにご自身の投影であることが分かる主人公が、通勤途中に立つ教会の建物の前に佇んで十字架を見上げる場面が描かれる作品などがあるのです。

 高井戸教会の建物にも、小さいながら十字架の付いた塔があります。救い主キリストが、闇が覆うこの世が裁かれないために、私たちに代わって十字架の上で裁かれてくださったことを表わす十字架です。高井戸教会の塔の十字架は光るわけではありません。しかし、それが表わしているキリストの十字架は、今なお光を放っています。地上にあって私たちが憧れ、遥かに望みながら、決して手の届かない天上の光を携えるようにして、光そのものであられる神の御子が来てくださったからです。その光は、消えていません。闇の中で輝いている。この光こそが、神からの光として私たちを照らし、まことの命の内に私たちを生かす。クリスマスに来られた光であられる主イエス・キリストが、この光の中に立って生きよ、と私たちを招き続けておられます。

救い主イエス・キリストからの慰めの光が、新しい年へと向かう皆さまの歩みを支えるものでありますように。