日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 33号

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説教 「復活の主キリストを信じて生きる喜び」
ヨハネによる福音書20章27節

牧師 内藤 留幸

「それから、トマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』」
これは復活の主キリストが、疑いまどうトマスに現われて語られたみ言葉です。このトマスを愛してやまない主のみ言葉が、彼の頑迷な心と不信仰を打ち砕いたのです。それ故、トマスは「わたしの主、わたしの神よ」と信仰告白をしました。彼は、死の力に勝利された復活の主キリストに出会い、信じる者とされたのです。

トマスの前に現われた復活の主キリストは、念を押すように「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と、何故言われたのでしょうか。トマスにしてみれば、もう眼前に慈しみ深いまなざしで彼を見つめておられる復活の主キリストを仰いでいるのですから、信じるも信じないもないのです。それなのに、主が敢えて「信じる者になりなさい」といわれたのは何故なのでしょうか。それは「主を心から信じ、愛する者になりなさい」ということですし、「主イエス・キリストを救い主として与えてくださった神の愛を心から信じる者になりなさい」ということと同じなのです。信じるとは深く愛することなのですから…。

私たちは人生の節目の大切な時に、子どもに向かって親を信じてほしいと訴えたいことがしばしばあります。それは親の存在を信じてほしいということではなくて、親の子どもに対する深い愛を信じてほしいということです。

それと同じように「神を信じる」「主キリストを信じる」ということも、ただ神の存在を認め、主キリストの存在を信じるということにとどまらず、私たちに注いでくださる神の愛を信じ、主キリストの愛を信じるということなのです。そして、神を愛するということは神と深いかかわりを保ち、真実な交わりをし、み言葉に従っていくことなのです。

復活の主キリストを信じるということも、ただ、主の復活があったと認めるだけでは何にもならないのです。私たちが復活の主キリストを信じるとは、主がこの私の罪を赦して救ってくださるために十字架にかかり、犠牲の死を遂げてくださった後に、圧倒的な神の恵みの力によって甦られたという神の大きな愛の力を信じるということなのです。

この神の大きな愛のみわざを信じることができるようになるためには、私たちの心の中に巣食っている頑迷さや、不信仰が打ち砕かれなければなりません。このことは、私たちの努力やがんばりでできることではなく、ただ聖霊の導きによってのみできることなのです。復活の主キリストの霊である聖霊は、今も私たちの頑なな心の扉を叩き続けてくださっています。私たちがそれに気づいて心の扉を開ける時に、生ける主キリストは私たちの中に入ってくださって、神との間に真に豊かな霊的な交わりを生み出してくださるのです。

私たちは、今こそ、心新たにして復活の主キリストを信じ受け入れ、私たちに注いでくださる主の深い愛に生かされて、絶えず礼拝に集い、み言葉に養われ、祈りつつ希望を持って信仰の道を歩んで行きたいと思います。