日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 29号

教会だより

説教 「復活の主より聖霊を与えられて」
ヨハネによる福音書20章19-23節

牧師 内藤 留幸

上記の聖書の箇所によると、弟子たちに聖霊を与えられたのは、復活の主キリストであったことが明らかです。生ける復活の主キリストが立っておられるところでのみ、聖霊が与えられるのであって、それ以外のところでは決して聖霊降臨は起こりません。この聖霊降臨によって真のキリスト教会が地上に誕生したのです。そのとき、主の弟子たちは、各自が独立した信仰者になったのではなく、教会という神の民の群れの一員として自覚をもって新しい信仰共同体、礼拝共同体として立てられたのであります。聖霊降臨によって誕生したキリスト教会こそ、主キリストの十字架の死と復活とが連続していることを深く知っている地上の唯一の存在なのです。

この、教会の礼拝において復活の主キリストは、聖書のみ言葉の説教を用いられて、そこに集う者たちに、今も鮮やかに聖霊を与え続けて励まし、生きる喜びで満たし、信仰と希望と愛を与えて福音伝道に遣わされるのです。

週の初めの日、不安と恐れを感じて身を寄せ合うように、一つところに集っていた弟子たちの中に、復活の主キリストが現れて『あなたがたに平和があるように』と言われました。この言葉は挨拶の言葉であり、祝福の言葉でもありますが、さらに非常に深い意味を持つ言葉です。『あなたがたがすべての悩みから救われるように』、『神があなたがたにすべての良いものを備えてくださるように』という意味も込められているのです。しかも、それは単なる願望ではなく、弟子たちを愛してやまない復活の主キリストが必ずそうしてくださるという恵みの宣言なのです。

弟子たちは、この主のみ言葉を聞き、主が、手とわき腹の傷をお示しくださったとき、十字架の主と、復活の主が同じキリストであることを知るに及んで、大いに喜んだのです。ここには教会の主日礼拝の持つ「祝福と喜び」という大切な意味が明らかにされています。生ける復活の主キリストがご臨在なさる真の礼拝にはこの祝福と喜びが満ち溢れ、集うものに活力を与えているのです。

礼拝の群れの中に立っておられる生ける復活の主キリストから聖霊を受けた信仰者は、昔も今もすばらしい数々の恵みを与えられています。そのうち三つのことを深い感謝と共に簡潔に述べてみたいと思います。
(1)復活の主キリストから聖霊を受けた者たちは、教会の礼拝において心から真の信仰告白をするものへと導かれます。礼拝で唱和する使徒信条や日本キリスト教団の信仰告白は、生ける神の恵みに対する私たちの心からの賛美であり、喜んで主に献身する志の表現なのです。
(2)復活の主キリストから聖霊を受けた者たちは、主と同じように「アバ父よ」と天の父なる神の名を呼んで、深く祈るものとされていきます。澄み切った青空のような霊的な祈りの世界の深みへと導かれ、神との霊的交わりの中で主の祈りを祈りきるものとなっていくのです。
(3)復活の主キリストから聖霊を受けた者たちは、『わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれている』(ロマ5:5)とあるように、神の愛が心の中にいよいよ豊かに与えられ、黙々と、愛の奉仕に励むものに育てられていくのです。