日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 27号

教会だより

説教 「イエス・キリストの福音のはじめ」
マルコ福音書1章14-15節

牧師 内藤 留幸

主イエス・キリストの福音伝道の第一声は『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』であった。年の初めで教会の1年の歩みを展望する時に、この主のみ言葉から力強い上よりのメッセージを聞きたい。

ガリラヤから
主は福音伝道を保守的なユダヤからではなく、自由な雰囲気のあるガリラヤから始められた。そこは主が育ち、若き日を過ごされた地で、地理を熟知しておられ、人々が福音を自由に受け入れやすいことを見抜いておられたからである。

神の福音を宣べ伝え
マルコ福音書には、『神の福音』という言い方と、『イエス・キリストの福音』という言い方がある。まず、この『神の』とは神のもとから来たとか、神から与えられたという意味であり、神の福音は人間が考え出した教えや道徳ではないことを示している。
『イエス・キリストの福音』とは神の確かな救いのみ心が、主イエス・キリストの語られたみ教えや十字架・復活の出来事を通して啓示された福音ということである。

時は満ちた
これは主イエス・キリストが語られた福音宣教の第一声の初めの言葉である。神の救いの福音が宣べ伝えられるべき神の時(カイロス)がいよいよ来たことを宣げている。その時は人の目から見れば決して明るい時ではなく『ヨハネが捕らえられた後』という暗い闇の時であった。バプテスマノヨハネは民衆からイスラエルの将来を担う者と期待されていたが、ヘロデ王への厳しい忠告のため恨みを買い、投獄された。民衆は夢破れて絶望的になっていた。そうした重苦しい空気に包まれていた時を、神は福音宣教の好機と判断されて、救い主イエス・キリストによる福音宣教を始められたのである。時についての人間の判断と神の判断は異なることが多い。神が素晴らしい救いのみわざを始められた時が、人の目から見て困難な逆境の時であったということは示唆に富んでいる。私たちが行き悩んで絶望的になっているときに恵み深き神は今こそ神の救いの時と判断されて福音を語り、私たちを力づけ、立ち上がらせてくださるのである。

神の国は近づいた
神の国とは神の愛のご支配のことである。主イエス・キリストが語られた救いの福音を心して聴き、受け入れた者には、その日その時から神の愛のご支配が始まり、その人は全く新しい生命に満ちた喜びにおおわれるのである。

神の国は人間が努力して創り出せるものではなく、永遠の世界から神の恵みとして私たちのもとへもたらされる。それは主イエス・キリストにおいて実現するのである。

悔い改めて福音を信じなさい
悔い改めとは自己本位の生活に別れを告げ、み言葉本位の生活へと変えていくことである。それはキリストの福音を信じる時に実現する。キリストの福音には信じる者を新しくする神の力があるからである。私たちは自分の中に巣食っている罪や汚れを見て絶望的になるのではなく、信じる者の罪を無条件で赦してくださる主キリストを仰ぎ、信じよう。その時、起死回生の恵みがこの私に実現するのである。