日本基督教団 高井戸教会

教会だより

  1. ホーム
  2. お知らせ・教会だより
  3. 教会だより
  4. 高井戸教会だより 26号

高井戸教会だより 26号

教会だより

説教 「クリスマスの聖なる喜び」
マタイによる福音書2章1-23節

牧師 内藤 留幸

誰もがよく知っているように、東の博士たちは救い主キリストの誕生を祝うために長い旅に出た。そして労多い旅路の果てに星に導かれて、ついに、ベツレヘムの馬小屋で母マリヤの側に寝かされていた幼子、救い主イエス・キリストにめぐり会うことになった。

この救い主キリストに出会うこと、キリストを深く知ること、そしてキリストとこの私との間に心の繋がりができること、そこに何ものにも替え難い深い喜びがある。クリスマスは本当の喜びを知る季節なのである。クリスマスの喜びは主キリストと繋がることによって与えられるものである故に、その喜びは単なる自己中心の、この世的享楽的な喜びではなく、聖なる喜びとも言うべき深い深い喜びなのである。

私たちがクリスマスでお祝いするのは、救い主としてこの世に来られた神のみ子イエス・キリストの誕生であるが、このイエス・キリストはやがて人生の最後で人間の罪を贖い救うために、痛ましい十字架にかかって犠牲の死を遂げられ、更に死の力に勝利されて復活され、信じる者に永遠の生命の約束を与え、栄光の望みとなってくださったのである。私たちは神がこのような大いなる救いのみわざをなされたことを覚えてクリスマスを祝ってきた。したがってクリスマスの喜びは、実に、厳粛な内容をうちに持った聖なる喜びなのであり、その喜びが胸のうちに満ちる恵みの時こそクリスマスなのである。

救い主イエス・キリストの誕生という喜ばしい時に、この世の権力者ヘロデ王によって幼な子の命を奪われて悲しみ嘆いたベツレヘムの母親たちの姿が、マタイによる福音書2章に描かれている。まさに可愛い盛りの2歳以下の男の子たちが残酷なヘロデ王によって殺された。その深い悲しみがエレミヤ書31章15節を引用して語られている。ここでマタイは、愛する幼子を失ったベツレヘムの母親たちの悲しみを、前途有為な青年をバビロン軍に連行されて失ったエルサレムの母親たちの悲しみに重ね、さらに愛する子ヨセフを失った母親ラケルの深い悲しみとも重ね、人の世にはどうしてこんな不条理な悲しみがあるのか、それも、神が人々を救われるためにこの世に救い主を遣わされたクリスマスという喜びの時に、こんな悲しみがあってよいのかと語っているのである。

主イエスの母マリヤと、その夫ヨセフは、幼子イエスを連れて、一時エジプトに逃れたが、おそらく後になって、ベツレヘムでの悲劇的な出来事を聞いたことであろう。そしてこのことについて思いめぐらし、主イエスを育てていく過程で何度となく語り聞かせたのではないかと思われる。

主イエスも何度もこのことを聞かされて若い日を過ごされ、それは、心の中にしっかりと刻まれた。そして、公生涯に入り、今度はご自身が、悲しみや痛みに耐えている人々のために犠牲の死を遂げていくべきことを深く自覚されて、救い主としての務めを果たされたのである。クリスマスの聖なる喜びの奥行きにはこのようなことをもうちに含む、実に、深いものがあるのである。