日本基督教団 高井戸教会

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高井戸教会だより 7号

教会だより

説教 「主による召命と派遣」
ルカによる福音書5章1~11節

牧師 内藤 留幸

すべてのクリスチャンにとって一生のうちで最も忘れ難いことは、主キリストに出会い、主に召された時の出来事ではないかと思う。使徒ペテロにとってもそうであった。彼は自分のような罪深い者が、ただ、主の恵みによってみもとに招かれ、召されて弟子とされたことこそが、自分が信仰者として生かされてきたことの原点であると思っていたに違いない。彼は主に召された時以来、終生変わらず主に従って行った。確かに彼はその後の歩みにおいてサタンの誘惑に負けて何度も失敗したり、躓いたりしたが、その都度、自分が召された日に「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われた主のみ言葉を思い出して立ち上がり、委ねられた使徒の努めを果たしていったのである。

主イエスは、徒労に終わった夜通しの漁からくる疲れや空しさの中で網を洗っていたペテロに声をかけられた。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と。その時、彼には主のみ心が深く解っていなかった。長年の漁師の経験からすれば、漁は夜するもの、沖ではなく、岸近くでするものだった。しかし、姑の熱病を癒してくれた主に「お言葉ですから、網をおろしてみましょう」といって半信半疑で漁をした。すると想像を絶する大漁となった。かれはこの神の恵みの出来事に圧倒されたのである。

信仰者にとって大切なことは、自分の経験や知恵よりも主キリストのお言葉に信頼して、それに従うことである。主に召され、派遣された私たちは、徒労に終わるかもしれないと思いつつも「お言葉ですから」と行って主から委ねられた仮題に励む時、生ける神は圧倒的な恵みの出来事をもって応えてくださる。このことは100年余の高井戸教会の歴史が雄弁に物語っているのである。

想像を絶する大漁という圧倒的な神の恵みの出来事を前にした時、ペテロは「主よ、ありがとうございます」と言わないで「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言って主の足下にひれ伏している。彼は主のみ言葉に対して半信半疑であった自分の不信仰の罪を痛切に知らされたからである。それに対して主はペテロの願いを受け入れて彼のもとから離れ去られたのではない。それどころか、彼をご自分のもとに強く引き寄せられ「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と力強く言われた。ペテロは、主が罪深い自分を見捨てられずに、しっかりとみもとに引き寄せ、恵みの手のうちにおいてくださったという事実を通して、主の真実な愛を知らされた。そこで躊躇することなく彼はすべてを捨てて(自分の生活のことを第1のこととせずに)主に従っていった。彼は主と共に生活をしながら、主の伝道のお手伝いという仕事が、いつも、また必ず、神から大きな祝福という
報酬をうけることを体験していった。